映像が素晴らしい。映画歴は浅いが、こんな映画を見たのは始めてである。「これは当時の映像ではないか?」と錯覚してしまう。内容は映画化するのが難しい十九世紀の小説だがキューブリックの「底力」で一級品に仕立てているという印象を受ける。
一人の農民が貴族の地位にまで登りつめ、そしてその絶頂から転落していく様をじっくりと描き出したキューブリックの佳作である。俯瞰するかのようなどっしりとしたカメラワークは、こちゃこちゃとよく動く最近のカメラにはない独特の迫力と美しさを生んでいる。このような歴史劇ではどっしりとしたカメラワークが物語に厚みを加えてくれている。映像だけで見る者を惹きつけることのできる映画作家はキューブリックを含めて数えるほどしかいない。さはさりながら、俯瞰したようなカメラワークで捉えられるドラマは重厚であり荘厳であり美しいのだが、登場人物に血が通って生きているという実感がどうしても沸いてこないのだ。何となく空虚な印象を見る者に与えてしまうような気がする。その原因は多分俳優にある。俳優の力量というよりも、キューブリックの俳優の使い方だ。彼は俳優を二つのタイプに分けていたのではないかと思うのだ。自分の言うとおりに動いてくれる「お人形さん」。自分の想像を遙かに超えた演技を期待する「パートナー」。残念ながら、この作品の主演ライアン・オニールは前者だったようだ。もっとも、私が知る限り、後者になり得たのはピーター・セラーズだけなのだが……。
18世紀ヨーロッパの物語ということですが、注目は、あたかも<BR>古今の名画を再現したかのような、美しい画面の連続。<BR>「2001年」で特撮技術を多数開発したキューブリックですが、<BR>この映画に見られる風景には勿論(^^)特撮なんか使われてい<BR>ません。<BR>キューブリックは、太陽や雲まで演出できるのか?<BR>と言いたくなるほど、どのショットも完璧に絵になっています。<P>といっても、別に絵葉書的な「面白くない」絵じゃない。<BR>逆に「異様」とでも形容したいほどで、ただ驚くのみ。<BR>主人公の不運を突き放して見ているようなキューブリック独特<BR>の「神の視線」も健在そのもの。<BR>人間ってどうしようもない生物だなー、としみじみと感じてしまう。<BR>「2001年」で猿が空中に投げた骨が、唐突に宇宙船に切り替わる<P>有名なシーンがありますが、骨と宇宙船の間でばっさりカットさ<BR>れてしまったのは何なのか?<BR>その答えがこれです。