アントニオーニは「赤い砂漠」で初めてカラーを撮るとき、わざわざ葉っぱを1枚1枚を絵の具で塗っていったそうだ。その色彩に対する常軌を逸した凝りようは、このカラー第二作でも存分に感じ取れる。淡いようでいて強烈な中間色を多様したこの映画、まずその色彩感覚にぶっ飛ばされる。ストーリーをまともに追っていったら少しも面白くないが、そういう凝った色彩やキャメラワークにハマルと陶酔の2時間弱を約束してくれる、そんな映画だ。映像で当時の英国の風俗を独特の切り口で見せてくれるところも面白く、H・ハンコックのモンドなポップ・ジャズBGMと相まって、正に風俗でお芸術してしまった映画、とでも呼べるのではないか。
まずこの映画、なんといっても<BR>60年代中期のヒップな風俗描写が最高に魅力的です。<P>マリー・クワント風のカラフルなミニ・スカート、長~いつけ睫毛のゾンビみたいなファッションモデルたち、ハービー・ハンコックのスカスカのスィング、凶暴でダルそうなヤードバーズ、道化のように無気味なモッズ族、そして絵に描いたようなD・ヘミングスの売れっ子キャメラマン.....これでもか!ってほどのお約束なカッコよさが、妙に閑散としたオールド・ロンドンの風景と無気味なコントラストをみせて素晴らしいムードを醸し出しています。<P>といったこの映画の見た目の「オシャレさ」に引き付けられて<BR>いままで何度も観ているのですが、<BR>殺人の目撃から謎めいた事件に巻き込まれてゆく....<P>というありふれているはずのこの映画の物語についての謎は深まるばかりです。まるで答えが堂々めぐりするナゾナゾを出されたような、つかみ所のない不安感でクラクラさせられます。まさに謎についての謎めいた映画!<P>しかも、ラストで観客をさらに混乱させるかのように用意された怪談めいたオチまでつけるアントニオーニの意地悪さ!この手の込んだ迷路では今後も私は迷い続けさせられてしまうんでしょうねぇ。<P>そういうのが好きなひとには限り無く魅惑的な作品であり、<BR>ハッキリしてないのはダメ!なひとには、退屈で眠くなるだけかもしれません。
カメラマンという『イメージを定着させる仕事』をしている主人公を中心に、『現実と虚構』、そして『人間の存在』について言及している。死体を見つけて興奮する主人公も現実への憧憬の現れであると思われる(死体は消失し現実と虚構で混乱する)。ライヴ会場のギターでのネックにしても『ライヴ会場』で無い限り価値がなく、外に持ち出した途端に『ただのゴミ』になってしまう。この映画で象徴的な場面はパントマイムでテニスをするシーンである。見えないボールでテニスをしている集団の玉を拾ってその『集団のテニスに参加した時』に気づくのだ。全ては虚構でイメージが人間の感覚に価値観と現実を感じさせてくれるのだと…。この映画はモードな映像、ハービーハンコックやヤードバーズなど、色々な方向から見ることができる。しかし、見るたびごとに新しい発見をこの映画は与えてくれる。