映画の予告編を見ておもしろそうだと思い、原作を読んでから見ました。原作では本当に生徒一人一人の事を詳しく書いてあるけど、映画ではかなり省略されていたのが残念だった。ただの殺し合いではなくそういった背景がとてもよかったと感じただけに正直がっかりしたが映像化するとなると時間的なことなど仕方ないのかなとも思う。私にはなかなかいいキャスティングだった。原作を読んでいれば見ただけですぐ誰が誰の役かはすぐにわかったので。見て見ると何かを考えさせられると思う。
僕はこの映画に関して長い間、町の噂程度の知識しかもっていなかった。B級映画的オープニング。「こうやって楽しめるな。」甘く見ていた。オープニングにつづくクラスの集合写真。タケシが先生役で真中に座っている。やられた。タケシのその写真の中の存在感。あの虚無。僕は世間に遅れること2年(くらいかな)、この映画にやられました。この映画なかなかやります。殺戮の激しさにもはじめびっくりして、これはR指定(だっけ)当然だろうと思った。しかし、衝撃的なのは、衝撃の中心はそこではなかった。極限状態の中で繰り広げられる、生と死を賭けた戦い。人を信じるか。自分を信じるか。いや。問題はそこではない。もう少し深い。だから、人を信じたからハッピー・エンドというのはない。主人公たち生き残ったのはたまたま運がよかっただけだと考える。物語は続くのだ。 <P>僕が思うに監督はこの映画を通して「人を信じる」美徳などという倫理的問題を訴えているのでは毛頭ない。監督はこの映画を通して、青年に期待しているのだ。僕ははっきりといえる。なぜならラストの一言だ。<BR>スクリーンに赤で一言。ある言葉が表現される。<P>僕は監督はこの表現にたくしたんだと思う。監督の社会に対する思いを。そして、この言葉を通して監督は少年たちに「力をとりもどせ!社会に風穴を開けろ!」といいたかったに違いない。だから、この映画がR指定を受けたとき監督は激怒したのだ。監督の本当の想いが、伝わらなければいけない人に伝わらないからだ。ラストの主人公たちが生き延び、暮らす町。そこは、渋谷である。渋谷センター街で撮影が行われている。リアルである。計算されている。!若者にとっては渋谷のセンター街は地元の町よりもリアルな場所かもしれない。僕にとってはあの朝の渋谷。とてもリアルだった。極端な映像表現ではあるが、本当に製作者の気迫が伝わってくるような 作品であったと思う。
最初観たときは、原作の方がおもしろいとか、やっぱ2時間であの小説を収めるのは無理があったんだと思っていたんですが、なんか観れば観るほどこの映画がおもしろく感じてきました。映画にもいいシーンはたくさんあり、生徒が一人死ぬ度に悲しくもなりました。それは、きっと観る人に一番感じ取ってほしいことが、ちゃんと伝わったからだと思います。<P>だから、一回だけしか観てなくてつまんないと思ってる人は何回か観ていく内にこの映画のおもしろさが分かると思います。